国鉄東海道本線旧線跡  滋賀県彦根市松原町字大洞(2005年3月19日撮影)

 滋賀県彦根市松原町字大洞から坂田郡米原町磯に亘って、今も国鉄時代のトンネルが残る。総延長 約50m。その東海道線旧線跡に残るトンネルはいつ頃建設されて、いつ頃どんな理由で廃止されたのか。

 大津ー長浜間は明治15年5月1日より琵琶湖の鉄道連絡線で結ばれていた。その後、明治22年7月1日米原ー大津間が開通。これ により東海道線新橋ー神戸間がすべて陸路で結ばれた。この時に米原駅と彦根駅も開業した。したがって、明治22年7月にはトン ネルも完成していたことが考えられる。

 その後、昭和19年、食糧増産のため国営事業として内湖全域の干拓事業が計画され、昭和24年着工、5年目の昭和29年に大事業 は完成した。そのことから沼地であった所も広い土地へと変貌していった。

 やがて、東海道線を走る列車も蒸気機関車から電気機関車へと切り替わる時代となり、これまで蒸気機関車が走っていた同トン ネルに電気機関車を走らせるには構造上具合が悪くなって昭和30年同トンネルの使用を廃止。内湖干拓事業で得た場所に新たな軌 道を設け、昭和31年11月19日東海道本線の全線電化が完成、現在に至っている。

昭和19年頃の入江内湖干拓事業計画図 (琵琶湖干拓資料館より)

旧線跡が残る住宅地図(ゼンリン彦根市住宅地図より)

彦根駅方面を撮る

彦根駅方面を撮る

米原駅方面を撮る

彦根市下水処理場側の坑口

東海道線旧線跡。坑口前から彦根市下水処理場方面を撮る。

 雑木林の山だった所を崩して建設された「滋賀県東北部浄化センター(下水処理場)」。 所在は、「彦根市松原町字大洞1550番地」となっている。昭和60年頃から彦根市の下水処理場として工事が始まったが、 それまでは田畑もあり、松原村から田舟に乗って耕作に来ていた。

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