生野銀山は天文11年(1542年)の開坑以来400年の間、幕府又は政府の厚い庇護と町民の協力により繁栄してきた。
明治22年からは宮内省御料局所所管の鉱山だったが、同29年三菱合資会社の経営に移った。その際宮内省から町民の永年にわたる協力を賞賛して、当時としては莫大な金額の六萬九千円が下賜(かし)された。町はこの御下賜金を基金として町政の振興を図ってきた。なお、昭和48年生野鉱山は閉山し、その跡は史跡として観光の中心になっている。 (生野町教育委員会説明文より抜粋)
三菱マテリアル旧社宅
同上
三菱鉱業生野鉱業所消防自動車庫
山神
トロッコ道
市川沿いに残るトロッコ道。かつてはここに軌道が敷かれ、生野銀山で産出された鉱石を載せたトロッコが生野駅まで走っていた。
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