忘れられた高島高校 (2006年8月20日 撮影)


歴史

 昭和24年6月1日 長崎県立長崎西高等学校高島分校 設置

 昭和35年4月1日 長崎県立高島高等学校定時制普通科 開校

 昭和37年4月1日 長崎県立高島高等学校全日制普通科 設置

 昭和39年1月19日 校歌(汗と力に映ゆるなり 母校の道に映ゆるなり) 制定

 昭和43年6月3日 県高校総体男子バレーボール優勝

 昭和43年6月8日 体育館竣工

 昭和47年3月22日 格技場竣工

 昭和60年6月2日 県高校総体空手道部男子総合優勝

 平成元年3月31日 長崎県立高島高等学校 閉校



 

 かつての長崎県立高島高校の生徒在籍数は資料がないのでわからないが、高島小学校における 最高児童在籍数は昭和37年の約2900名、高島中学校にあっては昭和39年、最高在籍生徒数約1700名を記録しているところから 考えると、高島高校の全盛期は多くの生徒で賑わっていたことが想像できる。
 ちなみに、平成15年現在の高島小学校児童在籍数31名、高島中学校生徒在籍数18名となっており、炭鉱の閉山により 昭和62年1月頃から多くの離職者たち家族が高島を離れ始めたことが、高島高校をも閉校に追いやった大きな原因であること には間違いない。




高島高校正面玄関

 

閉校記念碑

 誰かが作為的に削り取ったのか、それとも自然に風化したのか、閉校記念碑の校章跡が 祈りの十字架のように見える。同記念碑の裏側には、長崎県立高島高等学校の主な歴史が刻まれている。

閉校記念碑

 眼下の炭鉱社宅跡を見守るようにたつ閉校記念碑。それは炭鉱の慰霊碑のようでもある。

 

 

部室

 

高島中学校体育館と高島高校正門すぐ下の炭鉱社宅跡

 

高島小・中学校

 旧高島高校に隣接して建つ高島小・中学校。
 高島小学校は明治8年3月31日、高島下等小学校として開校。高島中学校は昭和22年4月18日開校された。
 昭和23年10月1日町制施行により、高島町立高島小学校・高島町立高島中学校と名称が変更になったその頃、高島小学校は 現在の高島海水浴場付近にあったという。現在その小学校跡地は整備されてキャンプ施設となっている。
 高島中学校は元々現在の位置にあり、昭和61年11月27日の炭鉱閉山等により生徒数が激減したことから、平成7年4月1日、 高島町立高島小学校と中学校が現在の場所に併設された。

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