滋賀県伊香郡木之本町金居原地先(旧・伊香郡杉野村土倉)旧土倉鉱山。 北陸高速道路木之本インターから国道303号線を約16キロ。金居原集落からは約2キロほど同国道を上った所に土倉鉱山跡 への入口がある。岐阜県境にまたがる標高1003メートルの土蔵岳の山麓にあり、県内唯一の、銅、硫化鉄、少量の金・銀、 微量の鉛を産出していた。 土倉村は、そもそも彦根藩領の柳瀬村(現余呉町)より御用炭焼が移住開拓したものと言われており、明治40年、岐阜県 安八郡の中島善十郎が鉱脈を発見、これを明治43年、田中鉱業鰍ェ買収し発掘を始めて鉱山集落化した。その後鉱山の経営 権は、昭和10年朝鮮鉱業開発鰍ノ、昭和25年8月には日窒鉱業株式会社(東京都中央区)に移っていったが、石炭の運命と同 じく安価な輸入銅に押されて昭和40年ヤマは閉じられた。
その半世紀に及んだ歴史の中では、戦時中の銅需要の高まりの中、増産につぐ増産のため、一時期は1500人を超える坑夫
たちなどが全国から集まり、社宅が軒を連ね、当時は珍しかった映画館などの娯楽施設やマーケット、診療所、小学校分教場
も建てられ、国鉄バスが晴れやかに走り、当時県内唯一だった鉱山は町の誇りだった。しかし一方、豪雪や風水害、じん肺病
等で多くの鉱山労働者が命を落としたりして、ストライキも度々発生したり、強制連行された朝鮮の人々が労働を強いられて
いた時代もあった。
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