小鳥塚という地名にふさわしい所に、「小鳥塚」の碑文が建っている。その右横には麻生鉱業鰍フ雁石坑坑口跡が残っている。
小鳥塚(2005年7月28日撮影)
昭和56年5月10日、筑豊炭鉱遺跡研究会によって建立された現在の小鳥塚は、当初は、ボタ石を積み上げた上に、さらに1メートルあまりのボタ石を建てて、目白塚と呼び、ヤマの人たちが清掃したりお花をたむけたりして供養していた。それを新しい小鳥塚に立て替えようという声があがり、筑豊炭鉱遺跡研究会が資金カンパ活動を展開して、その浄財によって、坑内で犠牲となった小鳥たちの慰霊碑が造られたのである。
小鳥塚(2005年7月28日撮影)
「ヤマの男と小鳥との切っても切れない愛情物語がある。ある時、坑内に落盤事故があって1人の坑夫が圧死した。その側にメジロも共に死んでいる姿が発見されたが、よく見るとメジロは口ばしを飼主の口へ差し込んだままだった。メジロは圧死ではなく、餓死したようで、エサを主人にねだりながら息絶えたのであった。この情景を目の当たりにした
人たちは心をうたれ、涙を誘われたという。」(穂波町教育委員会発行「穂波町ものがたり」より)
小鳥塚の碑には、可憐に飛び交う小鳥たちの図柄が描かれてあった。
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