写真中央が大将陣山。その左が明治天道炭鉱のボタ山。(昭和58年発行福岡県航空写真集より)
「穂波町ものがたり 炭鉱編」という本の中に、「大谷坑の道を挟んで東側に墓地があり・・・炭坑で働いていた人たちの無縁墓・・・この墓地を天道炭鉱がとりまとめ、大将陣の東側上がり口の近くに大きな墓碑を建てている」という箇所がある。
その本によると、大将陣山(標高112m)周辺における石炭採掘は明治20年代に入ってから。
現在、ボタ山も取り崩され、炭鉱の面影はほとんど見られない。そんななか、無縁墓の探索をあきらめかけていたとき、ひとりの元炭坑夫に出会った・・・。
戦地から帰国後、天道炭鉱に入ったという酒井さん。天童炭鉱の墓碑の場所を教えてくれた。その足元には石炭トロッコの車輪が。
酒井さん宅近くに天道炭鉱の墓碑へ至る入口があった・・・
野上天道鉱業所の墓碑 「今は行かないほうが無難」と酒井さんに止められたが、私たちは草木生い茂る藪の中へ入った。薮蚊に襲われながら数十メートル進むと「大きな墓碑」が目に入った。その周辺には炭坑で働いていた人たちのものと思われる無縁墓もあった。穂波町教育委員会も知らなかった場所である。後で知ったことだが、ここは第二豊満炭鉱(楽市炭坑系統)の坑夫納屋跡でもあったらしい。
「昭和10年8月建立 野上天道鉱業所」とある
大将陣山頂上付近に残る天道炭鉱時代の上水道用タンク |