方城炭坑罹災者招魂之碑  福岡県田川郡福智町大字伊方(旧方城町伊方)

 

方城炭坑 山神社跡(2004年8月3日撮影)

大正4年11月建立の「方城炭坑罹災者招魂之碑」(2004年8月3日撮影)

(2004年8月3日撮影)

 方城炭坑罹災者招魂之碑を見守るように、すぐ横に「観世尊菩薩」がある。観世尊菩薩のふところに抱かれているのは方城炭坑罹災者たち。

(2004年8月3日撮影)

 山神社跡の裏側に墓地がある。そして、大正3年12月15日建立と刻まれた墓石がいくつか見られる。それらは方城炭鉱において発生したガス爆発による犠牲者687人の中のひとつなのでる。
 中には、写真中央のお墓のように、仲よく二つ並んだ男女の墓石がある。おそらく、夫婦で坑内作業に従事していて被害に遭ったものと思われる。また、「享年25歳」と刻まれた墓石や、ボタ石だけの墓もあった。

(2008年6月9日撮影)

 「大正3年12月15日 策郎長男瓦斯爆発変死 松永義男18歳」と刻まれた墓もある。600人以上の坑夫を抱えた大納屋の跡取り息子であったという。この墓を立てた父親・策郎の無念さがうかがえられる。

(2008年6月9日撮影)

 同工場近くには何体ものお地蔵がまつられた「我部堂(わらべどう)」なるものがある。この裏側で方城炭坑罹災者の遺体が臨時に火葬された。火葬には石炭が用いられたという。

(2008年6月9日撮影)

 九州日立マクセルからそう遠くない所に、浄土宗の福圓寺がある。三菱方城炭鉱の菩提寺だった。そこに、大非常犠牲者の位牌と霊鑑がおさめられている。
 前住職の富永さんは言う。「尊い犠牲に支えられる今を忘れないために、毎年12月15日、三菱方城炭坑罹災者法要を行なっている。平成12年福圓寺大改装の折、本堂が新しくなったので、それまで白木だったお位牌を80数年ぶりに塗り替えてもらったときのことだった。新しくなったお位牌お披露目の記念写真に赤ん坊を抱いた男の人が写っていた」と。「乳飲み子を残して亡くなった人の霊ではないか」と思ったという。私はまだそういうものを見たことがないが、特別否定もしない。「私たちは、地底に埋もれたままの人たちが眠る地上で暮らしている。その先人の労苦と命の尊さを忘れてはなりません」と前住職は力を込めて語る。

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