出稼ぎ坑夫の墓 その3  島根県邑智郡邑南町

 旧日貫村は、先の旧矢上村から車で15分ぐらいの所に位置する。日貫村の民家は川が流れるふもとから山の上に亘って点在している。出稼ぎ坑夫の墓がある場所は、鉄穴原(かんながはら)と呼ばれた山の上の地区にあった。道を迷って民家に入り込んだ私を、そこの主人がバイクで墓地まで案内してくれた。そういう案内がなければ、半日だけでは到底出稼ぎ坑夫の墓碑を尋ねることは出来なかっただろう。

 遠い九州の地底に果てた出稼ぎ坑夫たちは、旧中野村に30名、旧矢上村に23名、旧日貫村に11名、井原村に1名が眠るという。今回の私の旅は、そのたった2箇所しか尋ねることが出来なかった。次回、いつの日かまた訪れてみたいと思う。

旧日貫村鉄穴原の墓地

 参るものはほとんどいないのか、墓地へ通じる道は生い茂った草でふさがれていた。

同上

左、西山浅次郎(37歳)、その右、妻 キヨ(31歳)。夫婦で坑内に下がっていたことが伺えられる。

西山浅次郎の墓碑銘

 「大正六年十二月二一日九州大野浦炭坑ニテ悲常之為死ス」とある。しかし、正しくは、悲常ではなく、「非常」と書く。炭鉱における大災害を、ガス爆発によるものであれば「ガス非常」と呼び、水没事故によるものであれば「水非常」と呼んだ。そこを知ってか知らずか、「悲常」と記しているところに、残された遺族の深い悲しみを感ずる。

左、登豊市(34歳)、その右、妻 登マツ(30歳)

登豊市の墓碑銘 「大正六年十二月二一日九州大野浦炭坑ニテ悲常之為死ス」

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