貝島の「炭鉱殉職者慰霊碑」  福岡県宮若市(旧鞍手郡宮田町)


炭鉱殉職者慰霊碑(2007年4月2日撮影)

 宮若市(旧宮田町)石炭記念館の一角に「炭鉱殉職者慰霊碑」がある。「昭和15年1月21日建立」とあるだけで、他に碑文はない。以前ここを訪れたとき、同記念館職員は「どこか他の場所からここに移転されたものではあるが詳しくは知らない」と言っていた。しかし今回、郷土史研究家により、同碑があった場所への案内をいただいた。

「炭鉱殉職者慰霊碑」が元あった場所(2007年4月2日撮影)

 宮若市石炭記念館から車で5分ぐらいの所に位置する宮若市東町。現在のその公園脇民家敷地にかつて「炭鉱殉職者慰霊碑」はあった。付近には貝島大之浦東三坑があったが、宅地開発により同慰霊碑は宮若市石炭記念館に移設された。
 昭和14年1月21日、貝島大之浦炭鉱でガス炭塵爆発事故が起きた。その死者数92人。その時の「炭鉱殉職者慰霊碑」だったという。

 現在、同地にかつて炭鉱があったという面影はもうほとんどない。ただひとつ、「東三坑通り」と呼ばれた道路の上に建つ木造の屋根が炭鉱時代を思い出させる唯一の遺構となっている。かつて付近一帯には炭住が建ち並び、この道は炭住街の商店通りとして賑わっていた。道路上の木造屋根はそのときのアーケードのようなもので、当時はもっと長く続いていたという。それが現在新しい家になると同時に邪魔になり、写真のような今の姿になった。
 しかしこれとて、いつまでもこのままではないかも知れない。そのことを思うとき、世の移り変わりのはかなさを感じる。

 なお、貝島炭鉱では他にも、明治42年11月24日大之浦坑において炭塵ガス爆発が発生、死者256名、大正6年12月21日同所においてガス爆発が発生、死者369名を出す大惨事を起こしている。貝島炭鉱の功績も大きかったが、その功罪も大きかった。

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