金田町の炭坑跡  福岡県田川郡金田町 (2004年8月4日撮影)


 金田町は人口8300人程の小さな町。大手炭坑はなく、中小炭坑が集まっていた。
 明治3年金田村に林ケ谷炭坑、同4年同村に四郎丸炭坑、同6年神崎村に神崎炭坑、同11年同村に薬可炭坑、同24年神田村 に金田炭坑、同27年同村に金谷炭坑、同31年同村に竹ケ谷炭坑、昭和14年金田町に福吉炭坑、竹本炭坑、同32年同町に新 金田炭坑、同36年同町に黒尾炭鉱等が所在していた。(炭坑の歴史記念碑より)

金田町最後の炭坑(露天掘)跡

 金田町最後の炭坑(露天掘)跡。跡地の一部に保健センターと高齢者健康増進センターが建って いる。すぐ近くにボタ山跡がある。

五平太船の船底板

 金田町町民公民館軒下に放置してあった五平太船の船底板。職員に尋ねてもその保存については 関心がない口ぶりだった。

 * 五平太船〜「川ひらた船」とも呼び、明治時代、遠賀川周辺の特産物や石炭を洞海湾・若松港を目指して運んでいた。 明治時代以降の鉄道の発達で衰退していった。

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