先の大堀鉱山から北方約1km離れた所に河合鉱山がある。
名神高速道路彦根インター前から国道306号線を多賀大社方面へ走って東海道新幹線ガード下を通り抜け間もなくの所に正法寺 バス停がある。そのバス停を過ぎたすぐの十字路を右折すると上池がある。その上池を通り過ぎて間もなくの所、左側に茶色の 古びた塀が見えるが、そこがマンガン鉱石を採掘していた鉱山があった場所である。その先は新興住宅地となっている。
この鉱山で働いていた人を偶然知ることが出来た。近くに居住する奥田さん(75歳位)。その方のお話によると、竪坑
の深さは約130メートル、今も岐阜県大垣市に本社がある河合石灰工業株式会社が営んでいた。当時従業員は地元の人たちばか
り十数人いたが、今も健在であるのは奥田さん一人であり、あとは主にじん肺で亡くなったという。奥田さんは「私の仕事は竪坑
巻き上げ機の運転係で、坑内には下がらなかったから他の者に比べて長生き出来たのかも知れない。」と語ってくれた。ヤマは昭
和40年代に閉山したようである。
「関係者以外立入禁止」の札とトロッコ・レールを活用した塀
竪坑跡。奥に見える山が同じくマンガンが採掘されていた大堀山。
竪坑跡(2003年1月4日撮影)
レールが2本突き出ていた(2003年1月4日撮影)
(2003年1月4日撮影)
そこから少し奥へ入った所に坑口跡らしきものがあり、周辺には、精錬した鉱石の残滓が多数散らばっていた。
(2003年1月4日撮影)
竹薮の中にはシュロの木や枯れたウメの木があり、ここが鉱山事務所跡であったようである。
|