よみがえる石炭〜筑豊の炭層 福岡県田川郡香春町 金辺川


 明治時代以降、石炭資源を背景にして新しく生まれた地域として「筑豊」という地域名が生まれた。そして筑豊 炭田は長い間日本一の石炭産出量を誇っていた。
 その筑豊最後の炭鉱、貝島炭鉱(宮田町)が1976年に閉山してから今年で31年、日本最後の炭鉱、太平洋 炭礦(北海道釧路市)が2002年1月閉山してから今年で5年になる。
 そういった日本の炭鉱事情のなかで、最近筑豊で石炭を発見採取した人がいる。その人は"ふるさとは筑豊"制 作委員会代表の奥永一久さん(右写真)。
 2007年2月18日、香春町の金辺川河川の護岸工事中、川床に黒光りする石の塊を見つけた。石炭だった。他 の人たちはほとんど関心を見せなかったが、奥永さんにとってはまさしくそれは黒いダイヤだった。
 責任者の了解を得て、奥永さんは仕事を終えたのちも一人残り暗くなるまで石炭を採取し続けた。以下の 写真はその炭層の状況を本人が撮影記録したものである。
 なお、金辺川は遠賀川の支流として上流部に位置し、源流は採銅所金辺峠付近にある。同河川は彦山川を 経て遠賀川と合流し、玄海灘へ至る。下水道整備などの遅れから、水質は決していいとは言えないという。

 近くには香春鉱業長畑炭鉱があった。約200人規模で、昭和27年から同38年まで稼動。筑豊で唯一炭鉱がな かった地域は福岡県田川郡赤村と鞍手郡若宮町だったが、その理由は当時単に交通の便が悪かっただけのことで、 決して石炭の鉱脈がなかったわけではないという。したがって現在でも筑豊のいたるところ先のような炭層はあるらしい。 ただ、国の施策により日本から石炭が見放されただけのことである。

 採取した石炭は、今年3月、福岡県田川市で開催された「ボタ山写真展」で来訪者に無料で配られた。年配者に 懐かしがられたのはもちろん、特に炭鉱を知らない小学生にめずらしがられて人気があったという。









 偶然とはいえ、奥永さんらの「ボタ山写真展」に合わせるように発見された石炭。不思議な因縁を感じないでは いられない。炭鉱の歴史をいつまでも伝えたいという奥永さんの思いが通じたのだろうか。
 しかしこの貴重な炭層も、現在は河川の護岸工事も終わって埋め戻され、再び川の底に戻った。

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