浮島丸殉難の碑 京都府舞鶴市下佐波賀 (2001年11月24日撮影)


 昭和20年8月15日、日本は戦いに敗れた。
 青森県大湊旧海軍施設などで働かされていた朝鮮人労働者とその家族3735人(政府発表)は、強制労働と非人間的な生活か らの解放と夢にまで見た故郷へ帰れる喜びを胸に、大湊港で旧日本海軍輸送船「浮島丸」(4730トン)に乗船し、8月21日午後 10時、朝鮮の釜山に向けて出港、帰国の途についた。
 連合軍の要求に基づいて発せられた日本政府の命令で浮島丸が針路を変更して舞鶴に向かい、湾内に入った直後の8月24日午 後5時20分頃、ここ下佐波賀沖で突然すさまじい爆発音と共に船体は真二つに折れて海底に沈み、地元の人々などの必死の救助 活動にもかかわらず、確認できただけでも婦人・乳幼児を含む524人が日本人乗組員25人とともにその尊い生命を失ったので ある。
 故郷の山河や忘れられない肉親との再会を心待ちにしていた人々がその直前異国の海でかけがえのない生命を失っていった殉難 者の胸中いかばかりであったろうか。
 私たちは、この浮島丸事件は「風化」させるのではなく、将来にわたって忘れ去ることのできないものと考え、思想・信条・ 信教の違いを超え、人道の立場に立って追悼の碑建立の運動を進め、幅広い府・市民の方々の浄財と京都府及び舞鶴市のご援助を 得て、記念公園と追悼の碑の完成をみるにいたったものである。
 この碑が平和と国際友好のかけ橋として意義深いものとなることを願いつつ。
 1978年8月24日 浮島丸殉難者追悼の碑建立実行委員会
 (同碑「浮島丸殉難者の碑建立にあたって」より抜粋)



まだ引き取られていない遺骨280体は東京・目黒の祐天寺に祀られている

 終戦直後の1945年8月、旧海軍輸送船「浮島丸」が京都府の舞鶴港で爆発、沈没し、朝鮮人労働者や 家族ら500人以上が死亡した事故で、生存者や遺族ら80人が国に約28億円の賠償などを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(藤田裁判長) は30日、原告側の上告を棄却する決定を出した。原告側が逆転全面敗訴した大阪高裁判決(平成15年5月)が確定した。
 支援者の1人は、「失望した。徴兵徴用された植民地出身者に対し、何ら補償していない国は日本だけ。それでも、裁判で不誠 実な日本の戦後補償の姿を浮き彫りにした意義はある。」と話した。(2004年12月1日付け毎日新聞より抜粋)

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