JR醒ヶ井駅の裏側に上田石灰鉱山跡がある。駅前で尋ねた年配の女性の話によると、
「上田石灰さんなら私も昔仕事で出入りしていたので知っている。駅裏に流れる天の川の木橋を渡った所にあった。
その事務所があった所は駅前で現在食堂に変わっている。もう何十年も前に閉山された」という。 他にもかつては石灰鉱山が何箇所かあり、その労働力として朝鮮の人々がここに移り住んだ。その集落が、霊仙山 (りょうぜんざん)の北嶺から湧き出る水を源流とした丹生川沿いに建ち並んでいたが、1960年頃の朝鮮帰国事業に より、そのほとんどが帰国した。 下記「米原町史」からもその頃の様子が伺えられる。
「1912(明治45)年6月21日、石灰を最寄の醒ヶ井駅へ搬出する軽便鉄道の敷設願書」 「大正2年8月、醒井村石灰業組合総代土居本次郎が、醒井村大字枝折−醒ヶ井駅間、総延長1.4キロに石灰原料と製品輸送用の軽便軌条敷設の出願。 この石灰輸送用トロッコは、動力不明。大正4年6月、滋賀県知事によって許可された」 「米原町史資料編」(1999年3月31日発行)より抜粋
岩肌が見える箇所が石灰採掘場であった所
(2002年9月15日撮影)
木橋から続く元トロッコ軌道。右奥、JR醒ヶ井駅。その正面に米原鉱山が見える。
(2002年9月15日撮影)
トロッコ道はJRの線路に突き当たる。そこには、使われずに草むしたレールがある。鉱山の引込み線
だったのか。
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