土岐口駅跡を過ぎて間もなくの所に狭い踏切跡がある。ここまで来ると、私の記憶がいっきによみがえる。 写真右側の赤錆びたトタン造り平屋建てが「スーパーママショップ」。空き家になっていた。写真の建物の間に見える青い車止めが踏切跡で、その 向こうに建つ民家の辺りにスーパーママショップが家主だった平屋建て三軒長屋があった。そこに私たち一家は住んでいた。長屋の横にあった田ん ぼにも工場が建っていた。長屋の家主は「長く一人暮らしだったが、千葉県へ引っ越してから亡くなった」という。 長屋の裏側に住んでいた朝鮮人の同級生の家もすでに空地になっていた。「父親が亡くなってから他所へ引っ越した」。48年の歳月は重かった。
町の様相はたいして変わり映えしていなかったが、そこに住む人たちは見知らぬ人ばかり。裏側に流れる妻木(つまき)川の水までもが変わっていた。
かつては粘土色していた川も、今は一見清い水となって流れていた。
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