三池から続く線路(みち)〜 東濃鉄道駄知線跡 2 (岐阜県土岐市)


 土岐口駅跡を過ぎて間もなくの所に狭い踏切跡がある。ここまで来ると、私の記憶がいっきによみがえる。
 写真右側の赤錆びたトタン造り平屋建てが「スーパーママショップ」。空き家になっていた。写真の建物の間に見える青い車止めが踏切跡で、その 向こうに建つ民家の辺りにスーパーママショップが家主だった平屋建て三軒長屋があった。そこに私たち一家は住んでいた。長屋の横にあった田ん ぼにも工場が建っていた。長屋の家主は「長く一人暮らしだったが、千葉県へ引っ越してから亡くなった」という。
 長屋の裏側に住んでいた朝鮮人の同級生の家もすでに空地になっていた。「父親が亡くなってから他所へ引っ越した」。48年の歳月は重かった。

 町の様相はたいして変わり映えしていなかったが、そこに住む人たちは見知らぬ人ばかり。裏側に流れる妻木(つまき)川の水までもが変わっていた。 かつては粘土色していた川も、今は一見清い水となって流れていた。









 ここに住む前、もう一箇所、最初に住んだ場所がある。同所から山の方へ歩いて約10分。親が働いていた陶土工場とその社宅である。社宅と言っても、 事務所付きの平屋建て二軒長屋の一棟のみ。期待はしていなかったが、行ってみた。しかし何ということだろう。残っていたではないか。あれから48年。 ボロボロになりながらも、私が来るのを待っていたかのようだった。そのあばら家がいとしかった。




 共同便所がある側に私たち一家は住んでいた。
フト足元を見ると、丸みを帯びた白い小石がたくさん落ちていた。これは父、これは母、小石を 二つ拾った。














 工場はすでに人手に渡っていた。「以前の工場主の老夫婦はもうだいぶ前に他所へ引っ越して行った」。

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