場所:

ギリシャ共和国アテネ市アクロポリススタート−スパルティーレオニダス像ゴール

日にち:

2008年9月26日(金)〜27日(土)

私は、ついにギリシャまで来てしまった。
思えば、外国の大会には何年も出ていない。
すっかり英語を忘れて、ドバイ空港では、お兄さんを頼ろうとして怒られるはラマダン用の水を買おうとしてお姉さんに怒られるは散々だった。
しかし、冷静になってみると、アラブ人の喋るのは英語もどきであって、英語じゃないからわからんのだ!という結論に達したのだった。
そういえば、アラブ訛りの英語教材が問題になったのを思い出したのだった。
しゃくにさわったので、来年はアラビア語を少し研究して行こうか。
それとも、ロンドン経由にするか・・・・

大会の受付で、健康診断書を出せ!
と言われて困った。
あれ、申し込みのとき出したじゃない?
え、もう一通必要?
聞いてないよ・・・・・。でも、なんかサインしたらOKのようだった。
来年は、ちゃんと持って来よう。
しかし、説明会で”気分が悪いので席を譲ってくれ”と言ったおじさんは、本当に246kmを走るつもりなのであろうか?!

さあ、明日は5時に起きてスタートだ。
早めに休もう。
ギリシャは、日本と違って朝は7時まで暗いが夜は7時まで明るいのだった。
きっと緯度が日本と変わらないのにサマータイムを導入した弊害であろう。
実は、往きの飛行機の中が寒くて、寝てから目を覚ましたら、喉が痛くなっていた。
これは結構致命的だが、今回は様子を見るのが目的なので、騙しながら行けるところまで走ろう。

アクロポリスは、まだ真っ暗なところからスタートだった。
遺跡見物は出来なかったが、この高揚感は、凄い、喉が痛いのは忘れてスタートした。
しかし、10kmも行かないうちに再発し、どうにも息が苦しくなった。
そこで、ペットボトルとスポンジを持って喉を冷やしながら走ることにした。
これで、なんとかコリントス運河を越えることは出来たのだった。

日本スパルタスロン協会の坂本さんにマッサージをしてもらって、何とか再スタートをした。
それから先は、余り覚えていないが、太ももが実に痛くなってきた。
どうも、上り坂が多いせいだろう。道理でみんな上り坂では歩いていたはずだ。そうしないと太ももの筋肉が壊れてしまうのだった。
135kmのエイドで、また坂本さんを頼ってしまいました。
おまけに無理やり味噌汁を頂きました。”大丈夫です”と言ったものの、もう足が破壊されてしまって走れなくなってしまった。
夜も更けてくる。山道で足元は悪く、街灯も全くない。
空を見上げると、満天の星だった。
ああ、昔の人は目が良かったのではなく、昔は暗くて空気がきれいだったから星が多く見えたんだね。と、実感しながら、とにかく、早歩きで歩くのだった。
しかし、140km地点で、もう、制限時間は過ぎていたのだった。
まだ、止められていないので走っても良かったのだが、完全に私の作戦ミスでこうなったので、
ここは観念して来年出直そう。
私は、リタイア宣言の書類にサインしたのだった。

さあ、初めての経験で回収バスに乗ってスパルタに向かうのだった。
やはり、あと100kmは、バスでも遠いのだった。着いた頃には夜が明けていた。
ホテルで朝食を済ませてから、完走者の応援に行くのだった。
それにしても、あの歓迎ぶりは、凄い。
来年は、是非、自分もああなりたいものだ。
あのオリーブの冠は国内持ち込み可能なのか心配だが。
(ちなみに、月桂冠は芸能や学術の人に、オリーブ冠はスポーツなどの覇者に、が正しい)

さて、表彰式は、後ろに座ろうと思ったが、前に座れといわれて前に行った。
なんか騒がしいと思ったら、優勝者さんの後ろに座ってしまったのでした。
途中でくたばった時に備えてギリシャ語を勉強していったので、ところどころ意味が分かってしまった。
ボイシア、ボイシアという人が居なくて良かったと、冗談を言っているのが分かったが、そもそも、助けを呼ぶためにボイシアを覚えていった自分はなんなのだろうか?

しかし、あのスパルティーの食堂で食べたハンバーグ(スズカーキ?)は、美味しかった。
しばらく日本のハンバーグが不味くて食べられないだろうか。

一夜明けてまた、アテネ郊外のグリファダの旅館に向かうのだった。
途中コリントスで休憩したので、コリントス運河を撮影した。
よく見ると、通船掘に似ているような?

さて、帰る前にエーゲ海で泳ごう。
実に綺麗な海だ。
日本の海のように潮臭くない。
何処までも済みきっている。
10年ぶりに泳いだのだった。
それにしても、改めて自分の写真をみると、これでは、完走できないなと思った。
あと2cm程おなかを引っ込めなくては。

さあ、もう帰らなくては。
またあの飛行機に8時間も乗ると思うと気が重いが・・・・・・
フロントのお姉さんに
I'll go home.
と言うところを、思わず、
I shall return!
と、言って通じなかったが。
SAYONARA!
と言って帰るのだった。
でも、私は必ずまた戻ってくるぞ。