0.スパルタスロン参戦記
自分で世界を走ると宣言しておきながら、忙しさにかまけて国内ばかり走っていました。
しかし、ついに独立を勝ち取り(勝ったわけではないが)、失業していたときの様に自由に外国にいけることになりました。
手始めに、スパルタスロン完走を目指してみるのでした。
これが達成できたら、次は欧州横断かな?それとも、本業にもどろうか?
2010年ついに三度目の正直で完走しました。
2011年は、足を故障することなく、平然とゴールできました。
でも、やはり、もう2時間は記録を短縮したくなりました。
来年も出る決意をしてしまいました。
しかし、今年の年頭になって、母が末期ガンになってしまっていて、
もう長くない事が、発覚してしまいました。
これでは、病院の付き添いなどで、まともに練習している暇がないので、スパルタスロンへの参加は
絶望的でした。もっとも、母の死に絶望するべきなのでしょう。
母は、言いました。
「お前の人生なのだから、悔いの無いように、もう一度ギリシャへ行って走ってきなさい」
こんな状態で、まともに走れるわけがない。
でも、四月に亡くなる最期まで母は、そのことを気にしていました。
私は、決意しました。
走ろうじゃないか!何処まで出来るか分からないけれども、行けるところまで行こうよ!
そういう訳で、2012年も走りました。
36℃以上の暑さがさらに追い打ちをかけましたが、何とかぎりぎりでゴールすることに成功しました。
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