場所:

ギリシャ共和国アテネアクロポリス−スパルティレオニダス像

日時:

2010年9月24日〜25日AM7:00スタート

3度目の挑戦となった。
昨年は残り僅か23kmでリタイアだったので、今年は徹底的に体力を温存する作戦とした。
とりあえず、タクシーでホテルまで、
ん?カード出せ?怪しいな・・クレジットカードを渡すとどうする気かな?
で、無視して、How Match ?
何と、72ユーロ。
かなりぼってるが、これも体力温存のため、
顔をこわばらせながら払う。
去年みたいに夜中の1時まで迷わないのだから良かったのか?

さて、ぼられたのは忘れて良く寝て体力温存する。明日は、選手登録と荷物預けと説明会だ。
預ける荷物は、小さいバッグに移し替えて一応午前にも持って行く。すると、今年は登録もすんなり、荷物も午前中から預かってもらえた。
ホテルに戻って昼食を食べていると、
何と誰かが「偽警官」に20ユーロ脅し取られたらしい。
夕べのぼったくりといい、ギリシャも治安が悪くなってきたようだ。もっとも今や日本も似たものだが・・・・・・

夕食は、おきまりのものだったが、味のないスパゲッティーにはペペロンチーノを持って行ったので
美味しく頂けた。ゆで方は、良いようだ。だが、多くの人が見限って外食しているのは残念だ。
この夕食は、きっと、お腹を壊さないようにという大会本部の心遣いではないだろうか?

いよいよ当日。4時半に起きて支度して朝食食べてスタートだ。
今年は、思いの外調子よかった。抑えて走ったのに、コリントスのヘラスカンには、7時間30分で到着してしまった。ウェアが擦れて流血したぐらいだがワセリンを塗ってもらって良くなった。
そして、100kmは、10時間5分ぐらいで通過した。何と今年のサロマの記録より良いではないか!
いけない。いけない。少しペースを落とそう!完走が目的なのだから。
と、ペースを落としていると・・・・・・・
「だいぶ、お疲れのようですね。おさきに」
と若いやつが抜かしていった。
「いえ、わざとペースを落としているのです」
と応えたが、何か腹が立ってきた。挑発には、乗らない。
世の中には、他人の不幸は蜜の味とか言って、他のやつがくたばっているのを見て満足して生きているやつがいる。
あああああああ。やだ、やだ、スパルタスロンにもそんなやろうがいるのか。
でも、他人のことは、無視無視。
自分の計画通り、自分のレースをするまでだ。
(後日、Webを見ていて沢山出てくる、今年のリタイア記を楽しそうに読んでいる私も同じ「まずいやつ」なのかも・・・・・・・反省)
まずいやつと言えば、
ギリシャにも悪いガキがいた。
5人ぐらいでたむろしていて、ランナーが通り過ぎると全力疾走。
また、しばらくすると待っていて、抜かしたら、全力疾走。
これを繰り返して、ペースを乱そうとしている。
さらに、ペットボトルを吹いて「げえーーげ・げげー」と鳴らして、こちらに吐き気を誘発させようとしている。
すかさず、大正漢方胃腸薬を飲んで対抗。
悪ガキどもは、野犬よりもたちが悪い。
さらに直接的攻撃に出るか?と思ったとき、急に空から大粒の雨が大量に降ってきた。
すかさず、ビニール袋を着て対応。
悪ガキどもは、びしょ濡れになって、退散していったのだった。めでたし、めでたし。

サンガスの山は、モントレイルのおかげで、今年は快調にクリヤーした。
しかし、ちょっと失敗したのが、サンガス山の次のCPでマッサージを受けたことだ。
よく見ると本来ここは、マッサージポイントではない。
また、大げさで時間がかかる割には効果が薄いとくるからたいへんだ。
今度からサンガスの次のCPではマッサージは受けないように、しよう!
さあ、目標から、さっきのマッサージを+した時間で、あと40km地点まてきた。
この長い登りが終わったら、あとは、スパルタまで走り降りるだけ・・・・・・・・・・・・・
でも、何か。さっきから右足のふくらはぎに違和感があるのだが・・・・
歩いて登れば大丈夫だろう。
これが、甘かった。
歩いて坂を登っていると、突然右足ふくらはぎが、「ブチ」っと切れた感じがした。
これから、10分間激痛で動けなかった。
「ああ、今年はこんな所で終わりなのか?うそだろ!」
絶望の時間だった。
でも、こうしてくたばっているとまた嫌な病院に連れて行かれるので、ゆっくりと歩いていると。
何と、騙しながら走れそうになってきた。
「よし、とりあえず、去年のポイントよりも先には行ってみよう」
と、進んでいくと、坂本さんがいた。
「坂本さん右足のふくらはぎやっちゃったよ」
「ここでは、まだ、何もできないから、CP68まで持たしてくれ」
と、いうことで、何とかCP68までは、やってきた。
「典型的な肉離れだね。これは、騙しながら行くしかないね」
「そうですか、それしかないですか」
「あと、3kmの登りが終わるともう登りはありませんので」
しかたなく、簡単なマッサージだけで続行。
ところが、今度は、右足がだんだん腫れてきた。
何とかCP72にまで来るとまた坂本さんがいるではないですか。
「あいかわらずですか?」
「少し腫れてきました」
「とにかく、冷やす様に、下りで踏み込まない様に走れ」
と、いうことで、「踏み込まない、踏み込まない」と考えながら、スローに走って坂を下って行った。
もう、残りわずか10km。
足を完全に破壊しない事だけを考えて、ゆっくりと着実に走っていった。
そして、ついにスパルティ市内に入り、レオニダスの前にやって来たのだった。
「I reach you!」と叫んで足下にタッチ。34時間55分でゴールだった。

ホテルに到着するも、もう足が痛くて動かない。
排気ガスのせいか、喉が異常に痛くて呼吸も困難だった。
これでは、あの美味しいハンバーグは食えないな。
来年は、ハンバーグを余裕で食べられる位の感じでゴールしたいものだ、って来年出るの?
しばらく右足はだめなのでタイツをはいて誤魔化して動かす事にする。
夜中は、外は花火を上げて大騒ぎだったが、私はベッドでうなっていた。

次の日、例年の通り昼食はレストランで市長さんと会食だった。ここの料理は、毎年実に美味しいので、昨日の夕食は我慢するか。
昼食の後は、バスでグリファダのホテルまで帰る。コリントス運河で恒例の休憩だが、トイレに行くのがやっとで、運河の写真は今年は無し。

一晩明けて最終日。
今年は、何と午後3時から大会本部が珍しく観光をさせてくれるそうだ。
余り期待できないが、とりあえず、観光と完走パーティーが出来る位に回復しないといけないので、じっとベッドに横たわって回復を待った。
やさしいおじさん達が足をアイシングしてくれたので、とても楽になってきた。

初めの観光地は、あの有名なマラトンの古戦場でした。
あの変な丘は、世界史の教科書に載っているやつですね。
しばらく、まわりをうろうろして、ざくろなんてものを食べたりして
「見沼通船堀とあまり変わらないなあ」
と思っていると、坂本さんがやってきた。
「おかげさまで完走できました」
と、固い握手を交わすのでした。

次に向かったのがマラソンミュージアムだった。
マラトンの町だけあって本格的では、ないか!
アテネまでのコースのスタート地点もあった。
しかし、ミュージアムの外に掲示してある世界地図を見て、衝撃いや笑撃を受けたのだった。
下の写真の通り、日本がおかしい。
本州が沈没している。
樺太に名古屋、東京、北海道がある。
日本人だったら笑って喜ぶけれど、韓国人だったら大変だね。google マップとか見ないのだろうか?

歴代のマラソンの記録が展示してあった。
みんな、高橋尚子さんが、「かわいく写ってる」と言っているけど、あれは、テレビ写りが悪いだけで実物は本当に可愛いいんだけど、知らないのかな?
スパルタスロンのビデオも上映していたのだが、どうも、赤い帽子をかぶって、大正漢方胃腸薬を飲んでいるやつが写っていると思ったら私だ!
去年のビデオだけど、お恥ずかしい限りです。

いよいよ完走パーティーが始まった。
今年は1位はイタリアに持っていかれてしまった。
女子の2位に初参加の吉村さんが入っていただけで今年の日本勢は振るわなかった様だ。
それにしても、月間走行距離たったの600kmで、初参加で2位なんて凄いね。やはり才能がある人には敵わない。
才能のない私は、知恵と努力でカバーするしかないですね。

完走者全員に直接完走証を前で渡してくれるのは、うれしいです。
私も、やっと実感がわいてきました。

さあ、来年は、どうしようか。
できれば、もっと納得のいく走りがしてみたいのですが、
これから、足の調子がどうなるか次第です。