福岡県立嘉穂高等学校正門前南側に日鉄二瀬鉱業所潤野坑跡の墓地がある。 明治36年1月、潤野鉱本坑において、死者64人を出すガス爆発事故が起きた。「朝一番の繰込みが終わって間もなく、一大音響とともに坑口からもうもうと黒煙が吐き出された。時のたつのを待って、竪坑から死者を搬出し、当時谷間だった山神社付近で死者を野焼きにした。」(鎮西村史) その墓地には、明治36年1月17日建立の「変死者之碑」という慰霊碑があり、同碑の裏には、殉職者64名の名が刻まれている。そこには女坑夫13名の名も見られる。それらは、夫婦であったり、親子であったり、中には恋人同士もあったであろう。刻まれた「死者氏名」欄からそのことが読み取れ、一層涙を誘う。
変死者之碑(2005年7月28日撮影)
死者氏名
平岩友市、同 虎六、小原市三郎、行武興作、河辺トク、同 春吉、測田栄作、同 政吉、
風化しつつあるコンクリート製の墓。文字が読み取れない。
(2005年7月28日撮影) ここが炭鉱跡であったことを物語るかのように、このようなボタが辺りに多く見られた。
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