三菱飯塚炭鉱 その1  福岡県嘉穂郡穂波町平垣

 大正4年、中島徳松により大徳炭鉱(飯塚炭鉱の前身)を開坑。大正7年、中島鉱業鰍設立。昭和4年、中島鉱業を三菱鉱業に譲渡し、会社名を飯塚鉱業と改称。昭和11年、中島鉱業は三菱鉱業に合併され、三菱飯塚鉱業所となる。昭和33年、飯塚鉱業所を縮小し飯塚炭鉱とする。昭和36年、飯塚炭鉱を閉山し、第二会社として飯塚炭鉱株式会社を発足するも、昭和40年、その第二会社も閉山となる。

三菱飯塚炭鉱第2坑巻き上げ機台座(2003年9月撮影)

 三菱飯塚炭鉱第2坑巻き上げ機台座(穂波町指定有形文化財)。
 巻き上げ機台座とは、巻き上げ機を据え付けた土台のことで、通常、斜坑に平行して2本開削され、本卸坑道は入気、石炭の 排出、連卸坑道は排気及び人車に使用される。この巻き上げ機は大正時代に作られたと考えられるが、上部の動力部分は残って いないため、詳細は不明なるも、蒸気の力で稼動していたと言われている。
 筑豊では、現在でも巻き上げ機台座は各所に残っているが、この巻き上げ機台座は高さが12メートルあり、筑豊最大級のもの である。(穂波町説明書き参照)

(2003年9月撮影)

(2003年9月撮影)

シュウメイギクがソッと寄り添っている。

飯塚炭鉱の石炭積込み専用駅(2003年9月撮影)

(2003年9月撮影)

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