社宅跡をのぞいていたら、70歳位の女性が「スゴイでしょう」と言って寄ってきた。「懐かしい
建物ですね」と私が言うと、「そうですか?こういうの、早く始末してほしいのですけどね。みっともない。」と言った。この
婦人が言う「スゴイ」というのは、「みっともない。あきれる。」という意味であったらしい。
その後しばらくしてまた次のお年寄りが寄ってきて、どこから来たのかなどと話しかけてきた。「滋賀県から来た。生まれが
三池炭鉱があった社宅だったので、こういう場所に来ると自分の故郷に帰ってきたような気がする。」と言うと、「私も滋賀県
からこの村に嫁に来たのよ。その時はまだここも賑わっていて、福岡県の筑豊や鹿児島県、中国地方などから働きにきている人
もいた。田川郡の炭鉱から移ってきたという人なんか、滋賀県の土倉鉱山にもいたと言っていた。鉱山の人たちはそりゃ私たち
より贅沢な生活をしていたよ。そこにあった売店で、私たち村のモンはひとつの物を買うにもあれこれと考えて買っていたけど、
あの人たちは気前ようたくさんの買物をしていたもん。」と、少しやっかみ気に言っていた。
筑豊の炭鉱から移り住んできた人たちの何人かはヤマが閉山された後もこの村に住み着いているという。
二軒長屋の鉱山住宅
同住宅前の売店。隣接してその奥が旧診療所。
「バナナ・みかん・パン・チョコレート」などと記載された伝票が入っていた
診療所の窓口
BACK NEXT
|