大島は、長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島の西方海上約4kmに浮かぶ離島であったが、
平成11年11月11日、11時11分11秒に「大島大橋」(全長1,095m)が開通し、本土と陸続きになった。
昭和10年5月、松島炭鉱鰍ェ大島に炭坑を開鉱、「炭鉱のまち」として栄えてきたが、昭和45年5月に閉山。
変わって昭和48年大島造船所が完成し、現在では年間30数隻もの船が建造されるなどして、以来、大島は『造船の
まち』として再び歩み始めている。
三菱の高島に対抗して、三井は地場資本の松島炭鉱に経営参加。しかし、大正6年に坑内火災により41人の死者を
出し、昭和4年には海底陥没で死者42人、同9年には坑内出水により死者54人を出して松島鉱は閉山した。そういう
経営難の中で大島鉱を開坑し、その大島の利益で戦後開発したのが池島鉱である。三井系列であっても、松島炭鉱は
三池・田川・砂川という大炭鉱を持った三井鉱山とは違う中小炭鉱であった。 なお、松島炭鉱鰍ヘ、旧大島鉱及び旧池島鉱で働いていた元鉱員およびその遺族から、じん肺による損害賠償 請求訴訟を提起されていたが、2006年3月20日、和解により全面解決となった。 松島炭鉱 慰霊塔(2006年8月19日撮影)
三井松島産業(株)スーパー事業部が経営する大島ストアー前に「松島炭鉱 慰霊塔」が
ある。建立年月日、碑文等、何も刻まれていない。
炭鉱社宅跡(2006年8月19日撮影)
「松島炭鉱 慰霊塔」の後方には、炭鉱社宅跡らしき空き地が広がっていた。通りを行く
年配のご婦人に尋ねると、やはり「そうだ」と言い、「ここに住んでいたのですか」と逆に問われた。
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