大阪俘虜収容所第9分所跡  滋賀県神崎郡能登川町伊庭(2006年2月7日撮影)


 滋賀県内には戦時中、大阪俘虜収容所の分所が3箇所開設されていた。第8分所が野洲郡中主町に、 第9分所が神崎郡能登川町伊庭に、第10分所が坂田郡米原町にあった。
 いずれも昭和20年5月18日に開設され、第9分所の捕虜たちは琵琶湖沿いにあった中の湖の干拓作業に従事させられていた。
 終戦時の第9分所収容人員は301人、その内訳は、米兵109人、オランダ兵69人、イギリス兵67人、オーストラリア兵55人、 ニュージーランド兵1人で、収容中の死者はなかった。



大阪俘虜収容所第9分所跡

 第9分所は、写真右側にある金刀毘羅神社の近くにあったらしい。
 当時、同収容所の憲兵だったという人が今も能登川町に健在であるが、憲兵時代、捕虜たちによく暴力を振舞っていた ようで、敗戦と同時に近くの山中に逃げ込み、しばらく隠れ潜んでいたという。
 なお、同収容所のF衛軍曹はBC級戦犯としてアメリカ第八軍軍事法廷、いわゆる横浜裁判により6年(再審減刑5年)の 刑を言い渡されている。中には、全くの人違いや、習慣的相違だけで罰せられた者もいたようである。先の人のように、 逃げ隠れした者の身代わりにさせられた者もいたかも知れない。

大阪俘虜収容所第9分所
(2004年発刊「捕虜収容所補給作戦」より)

 

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