麻生吉隈炭鉱跡 福岡県嘉穂郡桂川町吉隈


 桂川町もまた他の筑豊の市町村と同様、かつては炭鉱町として栄えてきた。
 最盛期における吉隈炭鉱の従業員は約2500人。家族を含めると約8000人が住み、昭和33年には吉隈炭鉱従業員の 子弟が多く通った桂川東小学校の児童数は1500人を超えた。しかし昭和44年 、同炭鉱が閉山すると、児童数は激減。 現在その数100人ほどになった。また町の経済も衰退して行き、現在では財政再建団体指定の危機に瀕するまでになって いる。
 そんな吉隈炭鉱跡を2007年4月2日訪ねてみた。




元炭鉱住宅共同浴場(現ASO弥栄店)

 まず目についたのがこの建物。懐かしさのあまり店の人に聞いてみた。思ったとおり、 「炭鉱社宅の中にあった元共同浴場」だという。現在は、麻生産業が経営するスーパーとなっている。

同上

 ASO弥栄店の向こうがボタ山。現在は削り取られて麻生飯塚ゴルフ倶楽部となる。

旧炭鉱社宅

 炭鉱社宅がまだ残っていた。

 貯水槽の上に腰掛けていたご老人に声をかけてみた。現在78歳。18の時吉隈炭鉱に 入り採炭をしていたという。「よその炭鉱事故で大勢の人が死んだとき、次は自分の番かと思ったが、わしは今もこうして生きて おる」と語ったその言葉が、とても印象的だった。

炭鉱施設跡

 そのご老人の目前に見える小高い丘の上にも炭鉱施設があった。この写真はその場所から 老人側を見下ろしたものであるが、ご老人が腰掛けているすぐ後ろに「入坑口」があったという。その右手にも坑口があったこと から、人車用と炭車用に分かれていたようである。
 老人が見つめる小高い丘の後方に500馬力の巻き上げ機が備え付けられていたといい、同所には現在豪勢な家が建てら れてあった。

同上

 向こうに見える桜の木がある場所には悲しい話があった・・・・・

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