麻生吉隈炭鉱無縁墓地跡 麻生吉隈炭鉱の坑口等があった現在の広場の真正面に桜の木が植わった場所が ある。その奥に小屋のような建物がある。中をのぞくと祭壇のような棚がこしらえてあった。 「あの小屋のような建物は何ですか」と先のご老人に再度尋ねてみた。同人は長い沈黙の後、ポツリポツリとこう証言した。 「あそこはな、元お墓だった所で、造成したとき、たくさんの遺骨が出てきてな、小屋はそのときの遺骨の仮置場だったとよ」。
同上
ある郷土史研究家らの調べによると、昭和60年、炭鉱跡に集会場を建てるための工事中、
5、6体の遺骨が出てきた。これをきっかけに地元の人が麻生側と交渉して付近を1メートル以上掘り返した結果、埋葬数は
全部で504体あったという。
共同墓地 先の無縁墓地跡から発掘された遺骨は、同所から約500メートル離れたここ共同墓地 に麻生産業が納骨堂を建て安置した。案内がなければわからない場所である。
吉隈炭坑共同墓地納骨堂 「吉隈炭坑共同墓地納骨堂」と書かれた石柱裏側には「昭和36年3月1日建立」 と記されていた。
同上裏側 納骨堂裏側には、麻生グループの社章を刻印した石柱が立てられていた。
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